キャンプとは不便生活である
- ライター麻生泰子
- 2016年6月27日
- 読了時間: 2分

梅雨の晴れ間を狙って、山梨県の山奥にキャンプに出かけた。
なんとキャンプは10年ぶり、テント泊はじつに20年ぶりである。
ヤマメを釣って、たき火で焼いて食べて。米を炊いて、肉を焼く。
シンプルライフである。そして、不便!
火を熾すのにも時間がかかる。コーヒーを沸かすのひと苦労。
水もいちいち汲みに行かないといけない。
夜は夜露でテントが濡れ、トイレに立っても真っ暗闇で視界ゼロ。
何をするにも、ボタン一つで済ませられない不便さ!
その代わり、驚くほど満天の星空を眺めることができる。
滝の音を聴きながら眠りにつくことができる(ちょっとうるさい)。
朝起きたときは、全身ぼろぼろで疲労感でいっぱいであった・・・。
どうやら歯ぎしりしていたようで、歯がじんわりと痛い。
大人がキャンプをすると、アレもコレも欲しくなる。
大きなテーブルやタープ、中で立てる大型テント、バーベキューグリル・・・。
――ああいうキャンプを、私はスマートだと思わない。
大学時代に島で1週間キャンプ生活をした時代に比べると、
着火剤も炭も、テーブルも椅子も使うようになってしまい、ヤキが回った感はある。
しかし、しゃがんで火を熾したり、石を積んだりする
プリミティブな要素は、できるだけ残しておきたい。
だって便利になってしまったら、キャンプではないのだもの。
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